【飲食人 プロフィール】
1969年、神奈川県生まれ。服部栄養専門学校卒業後、1988年「KIHACHI」入社。1号店である南青山本店、北青山「セラン」、「キハチ相模大野伊勢丹」など各店で名シェフ熊谷喜八氏の下で研鑽を積む。1998年、29才で「キハチ相模大野伊勢丹」のシェフに抜擢され、翌年、「キハチイタリアン横浜クイーンズイースト」の立ち上げシェフとなる。その後、KIHACHI本店料理長を務め、2011年5月退社。同年9月には「リストランテ ケン」を立ち上げ、総料理長に、現在に至る。
RISTORANTE KEN VENTI QUATTRO[表参道]宮川 健一 KENICHI MIYAGAWA (42才・取締役総料理長)
―まず「KIHACHI以前」をお伺いしたいのですが
「最初に料理する楽しさに出会ったのは、小学3年から足掛け10年間程参加したボーイスカウト(カブスカウト)で、ですね。子供だけで全くの自然の中で野外活動をするという結構ハードなものなんですけどね。地図と磁石を頼りに経路を見い出し、水場を確保して野営し、ナイフを使い、火を扱い…、自分達の食べる物を自分達で作る、ほとんどサバイバルなんです(笑)。五感を研ぎ澄まして、常に自分に問い掛けながら行動するクセみたいなものが否応無しに身に付きました。また、そういう経験を共有すると、一生付き合っていける『仲間』になれるんです。ここだけの話、いろんなやんちゃを楽しめるのも、そんな仲間だからなんですよね(笑)」
―躾に厳しかったお父様には、専門学校に進む事を反対されたとか。
「『大学に行かないのなら、家を出ろ』と(笑)。高校の頃からアルバイトに精を出し、生バンドショーがあるお店では、パリッとした格好をして、暗い店内でペンライトでメニューのご案内をしつつ、ひざまずいておしぼりを出すとか…。実はそういうの、結構できるんです(笑)」
―あらぁ(笑)。「苦学」という感じには、ならないんですね(笑)。
「大事です(笑)」
―専門学校卒業時、校長先生から「どこでも紹介してやるぞ」と言われ、一番優しそうな熊谷氏のところを希望されたそうですが、そのイメージは入社されても変わりませんでしたか?
「ええ、全く(笑)。むしろその人柄、そして成していく事にどんどん魅了されていきました。そもそも最初に、当時まだ店舗展開する前のムッシュ=キハチシェフを前にして『絶対にシェフになりたいです!』なんて言っちゃってましたね(笑)。今思うと、いったいどういうご挨拶だったのかと(笑)」
―在籍前半の約10年は、展開店舗に次々に送り込まれる中で研鑽を積み、29才でシェフとなる目標をクリアされてからは、「無国籍料理」からイタリアンへの業態転換を正に陣頭で進めてこられた、濃い23年間だったようですね。
「本当に良い経験をさせていただきました。私から若い人に言いたいのは、23年とは申しませんが(笑)、どんなに大変だと思っても、ハラをくくって最低3年は頑張ってほしいですね。心に楽しみを持って」
撮影/ボクダ 茂
インタヴュー・題字/高橋美樹

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