無駄のない動き、良質の話術、
シャープな洞察力をもって生み出される木村祐一の「笑い」。

かつてホテルのウエイターとして働いた経験をもつ彼だが、
いまやその料理のセンスも高く評価され、舞台の上でも、食卓の上でも、
客の心を魅了し続けている。
その背景には、もてなしの心を知る彼がいたーー。



京都センチュリーホテルの
ウエイターに就職


  高校生のとき、尊敬してた1つ上の先輩が都ホテルに就職したんです。自分も多少興味があったんで、 翌年の1981年、4月にニューオープンする「京都センチュリーホテル」に出願して、卒業後春休みもなく、すぐに研修 が始まりました。配属は「コーヒーハウス」。軽食というより、洋食を扱うレストランでした。

  ウエイターを2年経験したら厨房に入れる、ゆうことで、入社後はメニュー名はもちろん、お客さんに 説明する簡単な 料理法だとか、トレーや皿の運び方だとか、まあ、ホテルの配ぜんに関する基本的なテクニックから、 いろいろと覚え させられました。フォークとスプーンを使って、片手でサラダとかをサービングするの、ありますよね?  あれは、マッチ 棒をつかめるように練習させられるんです。僕はこれ、案外すぐにできましたけどね(笑)。仕事は慣 れるまで何やか やあるし、肉体的にもしんどいんですけど、できたばっかりの“新ピン”ですからね、どこもかしこも。 そやから、楽しかった です。文字通り新鮮な職場でした。


要注意人物によって
生み出されたサービス


  あるとき、コーヒーハウスにカップルがコースディナーを食べに入ってきたんですわ。この彼女が彼氏より 食べるスピードが遅くて、メインディッシュをなかなか出せなかったんです。若手のコックから「そんなん待たんでええから、 はよ出さんか! 冷えてまうやないか!」と怒鳴られ、こっちは2人同時に出すのが当然やと思ってるから、「何ゆうてんねん! そんなんしたら彼女が焦っておいしく食べられへんやんか!」と大ゲンカしました。このことで、僕は”要注意“人物扱いに。

その後、宿泊客の翌日の朝食の有無をフロントに確認するときも、担当の返事が客室数だったことに頭にきて、「部屋の数 やなくて、朝食とる人の数を教えんかい!足らんかったらどないすんねん! それ調べるの、大した手間やないやろ!」と啖呵 切ったことも。結局この後、朝食は客室数でなく、人数で報告することになりましたけどね。
   とはいえ、そんな僕が、お客さんからテーブルに指名を受けることもあったんです。当時の僕のヘアスタイルは リーゼントやったんですけど、それなのに妙に腰が低かったんで、意外性が面白かったんでしょうね。


凄腕シェフに教えられた
もてなしの心


  このコーヒーハウスで、今でも尊敬してるシェフとの出会いがあったんです。当時コーヒーハウスでチーフシェフを してた西村眸さん。彼のいる厨房は、もう、聖域というか、戦場というか、めちゃめちゃ厳しい雰囲気でした。ホテル内の4ヶ所の レストランはどこも、地下の別調理場で作られた仕込みのソースを共用しとったんですけど、西村さんは全部作り直してはった くらいで。とにかく手を抜くことを絶対せえへん、こだわりの凄腕料理人でした。厨房には、僕らウエイターは入れないんです。 ちょっとでも中に入ったり、それこそ手元のぞいたりすると、しこたま怒鳴られましたし。でも「それ何入れたん?」とかしつこく 聞いとるうち、わざと僕に聞こえるように、「今エシャロット入れたで」とかゆうてくれるようになって。西村さんの無駄のない、 しなやかな動きを見とるのは、ほんまに楽しかったし、勉強になりました。結局2年で僕はこのホテルを辞めることになるんですけど、 辞める日には、厨房の奥のシェフの部屋でフルコースを食べさせてくれて。これは、ごっつうまかったですね。

  僕は西村さんに出会って、ウエイター時代、料理に負けへんサービスをせなアカンと思ってずっと 働いとったような気がします。前に出過ぎず、控えめでも、きちんと行き届いたおもてなしをしようと。今は、笑いでお客さんを もてなす立場におるわけですけど、いいネタを選んで、それを一生懸命料理して、最高の状態でお客さんに届けたい、 そのことでお客さんに心から気持ちよくなってもらいたい、という考えは、センチュリーのコーヒーハウスにいた頃の僕と、 何ら変わってないんかもしれません。




木村祐一の一言


 
木村 祐一(きむら・ゆういち)
ホテルマン、染色職人などを経て、23歳でデビュー。
お笑い芸人として多方面で活躍中。人呼んでキムキム兄やん。


 
 
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